なぜ、正月早々に凍えに行くのか
新年あけましておめでとうございます。
皆さんは、どのようなお正月を過ごされましたか?
こたつでミカン、初詣、あるいは温泉……。どれも素晴らしい正月の過ごし方です。
しかし、我々「海上アングラー」の人種は少し違います。
多くの人が暖を求めて集まる中、わざわざ人が少なく、最も寒い場所へと向かうのです。
私の知り合いに、毎年必ず1月2日に竿を出すというストイックなアングラーがいます。
彼にとっての初釣りは、単なるレジャーではありません。一年を占う「儀式」なのです。
今回は、そんな彼が体験した、2026年の初釣りの光景をご紹介しましょう。
あるアングラーの独白:「静寂と赤」
午前5時半。
車を降りた瞬間、肺に突き刺さるような鋭利な冷気が身体を駆け巡った。
吐く息は白く、たちまち風にさらわれて消える。
足元の板張りは霜で白く染まり、一歩踏み出すたびに「ザクッ、ザクッ」と乾いた音が静寂を破る。
「あけましておめでとうございます」
隣の釣り座に入った常連さんに、短く頭を下げる。
返ってきたのは、白い息と共に吐き出された唸り声のような挨拶だけ。
互いに寒さで口が回らない。それでいい。
ここでは、言葉よりも雄弁な「沈黙」が共有されている。今年もまた、この海の上に立ってしまったという、呆れるような共犯意識。
凍りつく世界で
タックルを準備する手は、すでに感覚を失いかけている。
ふと見ると、竿のガイド——糸を通すあの小さな輪——に、うっすらと氷の膜が張っていた。
息を吹きかけて溶かす。しかし、糸を通そうとした時にはもう白く濁り始めている。
「やれやれ」
練り餌を丸めようとするが、指先が思うように動かない。
いびつな形の団子をハリにつけながら、苦笑いが漏れる。こんな状態で魚が食うのか?
それでも、仕掛けを投入する。
波紋が広がり、やがて静まる。
願いの色、真鯛の赤
海上釣り堀の朝は、驚くほど静かだ。
エンジンの音も、街の喧騒も、遠い世界のことのようだ。
聞こえるのは、波が筏の下を叩く音と、遠くで鳴くカモメの声だけ。
ウキを見つめる。
揺れない。沈まない。
「今年の一匹目は、いつ来るのだろう」
焦る気持ちを、冷気が鎮めてくれる。
釣りとは、待つことだ。この極寒の中で、ただ一点を見つめ続けること。それに耐えうる精神を持っているか、海に試されているような気がする。
その時だった。
ウキが「スッ」と、躊躇いなく水中に消えた。
迷いのない、確信的な沈み方。
反射的に合わせを入れる。
竿が大きく弧を描き、手元に「ドンッ」という重量感が伝わる。
「青物じゃない。この上品な首振り……真鯛だ」
冬の魚は動きが鈍いと言われる。
だが、その分、一撃の「重さ」がある。じわじわと糸を引き出しながら、海底へと潜ろうとする力。
生命の熱量を感じる。
ゆっくり、丁寧に寄せる。
焦るな。新年早々、バラすわけにはいかない。
そして、水面に姿を現した——。
鮮烈な、赤。
冬の鉛色の空の下で、その色は暴力的なまでに美しかった。
養殖特有の黒ずんだ赤ではない。冷たい海で脂を蓄え、身を引き締めた個体だけが持つ、深く、輝くような赤。
ネットイン。
「……あけましておめでとう」
思わず、魚に向かって呟いていた。

釣り人の「業」と「祝福」
帰り道、彼の車の暖房は全開だったことでしょう。
なぜ、そこまでして海に向かうのか、理解できない人もいるかもしれません。
家で温かいコーヒーを飲んでいれば、指がかじかむことも、ガイドが凍ることもありません。
しかし、それでは決して出会えない景色があります。
ウキが沈む瞬間の、心臓を鷲掴みにされるような高鳴り。
竿を通して伝わる、確かな生命の重み。
そして、冬の海だからこそ輝く、魚たちの鮮烈な色彩。
それらは、寒さに耐え、静寂に耐えた者だけに与えられる「祝福」なのかもしれません。
「今年もまた、この海の上に来てしまった」
それは後悔の言葉ではなく、釣り人としての誇りそのものです。
2026年も、皆様が良い釣りを、そして良い魚と出会えますように。
寒さに震えながらも、心は熱く燃やして。
それが、我々海上アングラーの生き方なのですから。
